義肢(義足・義手)の歴史は古く、それこそ紀元前から義足は使われてきました。*1*2
それなのに、義肢医療の分野はそこまで進歩していません。
昔は足に大きな怪我を負ったり、感染症を発症したりしたら、足を切らざるを得ませんでした。
近年の医学の進歩により整形外科や形成外科の手術が発展して大きな外傷を受傷しても、多くの症例で足を温存することができるようになりました。
しかしながら足を残すことができない患者もいまだに存在します。
当然ですが医療者は患者さんの足を残すために力を尽くします。
力を尽くしたけれども、怪我の大きさや病気の進行のために足を残せず切断術に至る場合があるのです。
そのためか切断術には”負け”のようなイメージがあります。
足を切断するという医療行為のイメージが医師や患者さんにとってあまりにも悪い。イメージがよくないと関わろうとする医療従事者は増えません。これがこの分野が発展してこなかった理由の一つになっていると私は考えています。
本当は切断術は命を救うための手術であり、歩きという機能を救うための手術であったりします。そう考えるともう少しポジティブに考えることもできるのではないでしょうか。
少なくとも切断者は切断術のことをあまりネガティブに考えないほうがいいです。ネガティブな考え方は幻肢痛をひどくする原因にもなります。
最近はパラリンピックや義足関係のイベントも増えたこと、義足のイメージが昔に比べて良くなっています。
切断術を受けた、あるいはこれから受ける患者さんのためにも少しでも切断術のイメージが良くなることを願っています。
切断者が少ないことも義肢の分野が発展しづらい原因の一つだろうと思います。
先に書いたとおり、昔だったらすぐに切断になったであろう症例も、医学の進歩により四肢を残すことができるようになりました。
そのため切断者の数はリハビリテーション医学における全体の患者の中でも少数派です(もちろんこれは患者さんにとって悪いことではありません)。
一つの病院の回復期リハビリテーション病棟の中に切断者が何人もいることは少ないでしょう。一人いるかいないかといったところではないでしょうか。
そのような環境では勤務する医療従事者の義肢診療の知識や技術が向上しづらいです。
どんな疾患でも経験する症例が多ければ多いほど、疾患に対する診療のレベルは上がるものです。
たまにしか経験しない疾患は次にその疾患に出会った時にまた一から勉強し直すことになりかねません。
義肢診療の特殊性も原因の一つになっていると思います。
義肢の分野では、病院でリハビリテーションを提供するのは医師や理学療法士、作業療法士ですが、義肢を作るのは義肢装具士です。
義肢がないと始まりません。義肢装具士の果たす役割が他の脳卒中や整形疾患に比べて大きいです。
しかしながら通常、義肢装具士は毎日病院にいるわけではありません。製作所から週に1回程度出張してきてくれるのが一番多いパターンではないかと思います。
そのため医師・療法士と義肢装具士のコミュニケーションがとりづらく、義肢装具士に義肢のことを教えてもらう機会も少なく、医師・療法士の義肢に対する苦手意識を作ってしまうのではないかと思います。
私は今、義肢診療の第一線で臨床をしていますが、この現状を少しでも変えたいと思っています。
そのために私ができることとして医師が関わるリハビリテーション医療の部分、ここをもう少し分かりやすく医師や理学療法士に伝えていきたいと考えています。
そうすることで医師・療法士と義肢装具士のコミュニケーション改善につながり、引いてはリハ病院のレベルアップと患者さんに対する医療の質の向上が目指せるのではないかと思っています。